みっちゃんの営み

会社員を辞め「やりたいこと」をやって生きてくまでの道のり。36歳┃デザイナーとして10年会社勤め→退社→🇦🇺留学→帰国┃フリーランスデザイナー・バーテン・シェアハウス運営・デザイン学校通学・英語勉強・ボランティア┃日々の葛藤を書いてます。

ブログを書くということ

ここ最近、全く違う方面から僕にブログを書くことを勧められたので、改めてそれについて考えたいと思う。

それを勧めてくれたうちの一人は、初対面の方で、自分の今に至るまでを話したのをキッカケにその話が出た。

また、他の一人は親しき仲で、一緒によく飲むし、お互い色々と協力するし、という関係で、このブログを始めとして、僕が書く文を評価してくれて話が出た。


手前味噌ながら、僕が書く文章を好いてくれたり、わかりやすい、面白いと言ってくれる人はこれまでもちょいちょいいてくれて。

しかし今回、改めて「書くこと」を“勧められた”ことが重なったので、改めて自分自身に問いかけ、ブログを書く理由とその必要性、そして今後について考えを書き出したいと思う。


そもそも僕はなぜブログを書くのか?
出だしからではあるが、全てはここに尽きる。

ブログはずっと書いてきてはいるものの、ちょいちょいコンセプトを立て直しては、更新を止め、別のブログを立ち上げてはまた書き始めている。

とりわけ今、このブログのコンセプトとしては、会社員という生き方から外れ、肩書きという肩書きがない中、今自分がしてることを伝えるためのポートフォリオ的なコンセプトの下、書いている。


ブログを書く必要はあるのか?
確かにブログなんか書かなくたって、人は生きていける。書いてる暇があるなら、別のことやった方がいいという価値観だってある。

ブログを書いている人それぞれにその必要性はあるだろうと思うが僕に関して言えば、今色んなことに関わらせてもらっている中で、それらがちゃんと一本につながっているか?そして、向かいたい方向に向かえているのか?

それを"書く"という行為を通して確認している。


「仕事」って極論、人のためになること、その行為だと思う。

しかし、なんの考えもなしにただ人のために務めるというのは、やがて自分を失わさせるんだよね。

自分がなぜ今それをしているのか?を自分自身で理解していないといけない。


ただの奉仕ではなく、それをすることによる対価を自分で考えなくてはいけないと思っている。


ありがたいことに今、色んな方面から「あれできないか?これできないか?」というお願い、相談を色々寄せていただけている。


中には謝礼をいただける案件もあるのだけど、言っても先方にも予算があり、時給という形がほとんどで、自分の生活を考えると十分ではない。

それでも、その人のために自分がそれをやるためには、自分でその価値を見出さなくてはならない。

その仕事に対する対価・価値は、与えられるものでなく、自分で作ることによって、仕事の質に変えていくものだと思っている。


僕の場合は、「A」というお願いに対して、自分が抱えている「B」という課題の解決につながらないだろうか。また、他の人の何かの解決にも繋がらないだろうか。もしくは、その案件をキッカケにあの人とこの人を繋げられないだろうか。


そういう風に、点と点をつなげるために、僕はブログを書くことにより、頭の中を定期的に整理し、整頓するために役立っているように思う。


発信するということ
ブログを書き続けているものの、とある一線でいつもブレーキをかけてしまう自分がいる気がしている。

公の場に発信するということは、それを誰かに読んでもらったり、聴いてもらったりするわけで、人からその時間を頂戴するということだ。

時間を頂戴するからには、それ相応かそれ以上の価値をその人に与える必要があると考えている。


…のだけど。


自分が書くブログはそれに至ってない。

誰のためでもなく、自分のために書いているからだ。

多少たりとも人の目を意識することで、ちゃんと文章にすることができるから、公開とさせてもらっている。


ここが長年の課題だ。


人にとって価値あるものにすべきか、否か。


一時、人のためになることを意識したブログを書いていた時期もある。

だが、しかし、それって自分にとって面白いものとは感じられずすぐに辞めてしまった。


“人のため”ばかりを気にし過ぎると、本音から遠ざかる気がしたからだ。


であれば、このままでいいじゃないか。

と、行き着くだろう。


しかし、それはそれで、すごく弱いものなのだ。

人のためであれ、自分のためであれ、やるとなれば長く続けたい。更新を止めては、コンセプトを変え新しくブログを立ち上げたのも、続けられるコンセプトの模索のためだった。

自分のために書いていると、そのとき自分が抱えていた課題の解決の糸口が見えたとき、もしくは単純にめちゃくちゃ忙しくなったとき、書く気、続ける気がフッと消える。


自分が誰のためにでも書いているわけでもないので、辞めるのは非常に簡単なのだ。


なので、やっぱり自分が目標としている“続ける”を考えたとき、多少たりとも人のためになることを意識する必要はあるなと思っている。

 

自分のためにもなり、人のためとなるその交点はなんだろう?

であれば、目指すべきは、自分の行動を経て得た経験の整理となり、それを人に有益な情報として与えられる形となったとき、双方にとっての価値となるだろう。

今はまだ、どういう風に書いていくかは具体的なイメージを持てていないが、意識する方向が作れれば、おのずと色々変わっていくだろうと思う。

今を生きるための試行錯誤の対象は自分だけでなくてもいいかな?とちらっと思っている。

こんな風に生きている人もいるんだよ、というのを文に起こし、読む人々に自分の生き方の選択の何かしらのヒントになることができたら、それはいい価値になるのではないかなと。


書いて欲しい人、いるかな?笑


とりあえず、これはこれでまた温めてちゃんと募集もかけてみようかな。

何も特別な生き方をしてる必要はないと思う。

自分の日常って、案外他人にとっては全くの非日常だったりするわけだし。