みっちゃんの営み

会社員を辞め「やりたいこと」をやって生きてくまでの道のり。36歳┃デザイナーとして10年会社勤め→退社→🇦🇺留学→帰国┃フリーランスデザイナー・バーテン・シェアハウス運営・デザイン学校通学・英語勉強・ボランティア┃日々の葛藤を書いてます。

「手に職」だけでは足りない

気がつけば、7月も終盤。そして留学から帰ってきて早くも4ヶ月が過ぎた。

帰国後の3ヶ月は、色んな可能性を感じては試してみて、同時に金銭的にも尽きてきて、日雇いの仕事なんかをしながらもがいてきたのだけど、進むべき方向性が決まってきた。

人生、無限の可能性があるし、やろうと思えばなんだってできると思うんだけど、不思議なことにそこには「導かれるとこ」とそうでないことがあるように思う。


「導かれるとこ」とは、ちょっと足を踏み込んでみると、色んなことが繋がって割とトントン拍子に事が進んでいく。

今運営しているシェアハウスを始めたころも、SNSにこういうことをやりたいと投稿すると、すぐに「同じようなことを考えていた!」と仲間が集まって、その週末には物件が決まって、早々にスタートした。

逆に、そうでないことは、何をどう試してもなかなか前へ進まない。

この二つにどんな差があるのかはわからないけども、とにかく今までの人生経験上、そんなことがあるのだと知る。


んで、今回。
一つの決心に至ったのだが、それは、

アニメ、マンガ、ゲームのロゴデザイナーになる

ということ。


7月の初めに、アキバでのアニメ・ゲームのグッズ企画・販売をやっている会社にバイトとして採用が決まったことがトリガーとなり、これまで右往左往としていたことの腑に落ちる落とし所のようなものが自分の中でキレイにはまった感じがあり、この決心に至った。

前職のデザイナーとしてのキャリアはあるものの、その決心に際し、改めて学校に通うことも決めた。

これまでの経験から、自分に足りないと思う知識を補い、アニメ、マンガ、ゲームにおけるスーパーロゴデザイナーになることを目指す。


人生100年時代」だとか「個の時代」だとか、これからの社会を生きる上での色々なキーワードが挙がっているけど、これまで色々見聞きして、そんな時代を生きていくために自分が感じることは、

『一つ尖った専門性を持つこと』

がキーだと思う。


その専門性というのも、

例えば、料理なら、料理の専門家というのではなく、料理の中でも魚を扱わせたら右に出るものはいないとか、ジャンルで大きく括られたものではなく、そのジャンル内で絞られた何かに特化していくことが良いと思う。

そうなることで、個人のキャラが立つというか。

単に「手に職」だけでなく、その中でキャラ立ちしていることが大事なんじゃないかなと思う。

圧倒的Japanese culture

独立するにあたり、今までのキャリア、デザインを活かすことを考えるも、それだけでは足りないので、「デザイン × 〇〇○」と何かを掛け合わす必要があるという前回記事のつづき。


その"〇〇○"を構築する上で、もしくはそうでなくとも、今めちゃくちゃ興味関心を持っているのが、アニメ・マンガとアキバ。


留学に出て、外から日本を見たときにアニメ・マンガというカルチャーの凄さと特異さに気づかされ、パチンとスイッチが入り、時間があろうもんなら最近ずっと観たり読んだりしてる。


幸い、周りに詳しい人がいて、色々教えてもらっては刺激を受けている。

 

こと、デザインにおいて。

特に最近のものにつまらなさを感じている自分がいて。

 

細く、直線的で、平均的にオシャレなデザインばかりだな、と。


そういったデザインの看板や店の看板が街に溢れてきて、全体として個性が失われ、全体的なエネルギーを感じない。ワクワクしない。

 


逆にワクワクを感じる街といえば、赤羽だったり新宿ゴールデン街、思い出横丁などなど、昭和情緒溢れるところだ。


それぞれが個性的で、エネルギッシュに感じる。

新しいところが平均的になってつまらなくなってきたから、昔当たり前だったことに却ってスポットが当たって面白く感じてるのかもしれない。


で、そういう文化を踏襲して先端を行ってるのが、秋葉原という街。


日本独自の文化を惜しげも無く街全体に出し、かつ一つ一つがダイナミック。


うるさく、一見ダサく感じるところも含めて、日本らしい魅せ方なんではないかと思うし、海外と比較しても特異であり、オリジナリティーな気がしてる。

「なんでもできる」では何もできない

会社に10年勤めて、それなりの地位をいただいて、んで退職して留学して。帰国後は正直、なんでもできる気がしてる自分がいた。良くも悪くも。

「独立」を見据えて、色々人生設計進めていく中で"なんでもできる"ってのは、あまり利点ではない。自分のスキルにおいても、自分がこれから進む道においても。

やっぱり、何かに特化してることが大事だなぁと思う。何かに特化した上で"なんでもできる"ならいいんだけど。

 


とにかく、今の俺にはそれがない。

やりたいこと自体はたくさんあるのだけど、多岐にわたってしまっているから、端から見られても、また自分としても、どこへ向かおうとしているのか、その説明に吃ってしまう。

開き直って、多岐にわたることを突き抜けることもいいかもしれない。が、やはり一枚、わかりやすい看板がないと広がりにくいよなぁと思う。

前回の記事で、キャリアを活かすと書いた。
そのキャリアとはデザインになるわけだけど、それだけでは、独立するにはどうも弱いと思う部分がある。

デザイナーなんてゴマンといるわけで、俺より優れた人なんてたっくさんいる。ツールの発達も相まって、薄利多売の世界になっているので、モノづくりという好きなことをそういう世界に突っ込ませたくないなぁと思ったりする。

なので、「デザイン × 〇〇〇」

を構築せねば。というのが、今の段階。

つづく

プロフェッショナル

ここ最近は毎日違う仕事をしている。

掃除屋やったり、カレー屋さんやったり、工場で働いたり、配達やったり、飲み屋でバーテンやってたり…。

端からみたら迷走感すごいんだけど、なんでこんなライフスタイルを送っているのかと言うと、英語を使った仕事を得るため。
それが決まるまでフレキシブルに働かせてもらってるという感じ。


探してみると、自分の英語力でも就けそうな仕事がちょいちょいあったので、求人を見つけては面接も受けていたのだが、そんな生活を1ヶ月ほど送り、色々現実というものが見えてきた。
そして、今働かせてもらっている仕事の先々で、人生の先輩方の経験や仕事に対する姿勢を見て、色々と思うことがあったので、今後の方向性をシフトチェンジしようと思っている。


まず第一に。
「英語」と「収入」は分けようと思う。

自分の「英語」を伸ばすために、またその環境を作るために、一日の大半を過ごす職場を英語化することが、最も効率的と考えていた。

今も尚、それはそう思う。けども、残念ながら個人の実績、成果の評価より、会社の体裁を気にしていたり、またそれにより自分のアイデンティティを曲げなくてはならないところが多かった。

環境は「英語」でも、やっぱり日本だなぁと思わざるを得なかった。

日本を否定するわけではないけど、俺はそういう会社には身を置きたくない。

ちゃんと、仕事を仕事として評価される環境がよい。

 

次に、プロフェッショナルを再意識したこと。

今こう、ワガママな条件で働かせてもらっている先は、これまで参加してきた各ボランティアで知り合った方々から仕事を与えていただいている。

自営でやっている彼らの話や、仕事に対する姿勢を見るとプロフェッショナルさがヒシヒシと伝わってくる。

お客さんに何かをリクエストされて、パッと返せたり、見通し立てられたり。

人とのつながり方、そしてそこからの仕事へのつながり方だったり。

業種はバラバラでも、何か共通なものが見えてきて、色々と気づかされることがあった。

 

最後にトリガー。

帰国して、色々と活動していく中で新たに出会った人から、ひょんなことからデザインの依頼をもらった。

その経緯を少し話すと、彼とアキバのメイド喫茶に飯を食いに行った。
彼はアキバで広い顔を持っていて、そのメイド喫茶の店長さんともお知り合い。

世間話から、海外のお客さんも増えていると話題になり、メニューも英語化したいという話を聞く。

「金とかいいので、デザインも含めてやりましょうか?」と振ったところ、店長の彼女よりもアキバの彼の方が食いついてくれて、彼からの発注でイベントフライヤーのデザインを受けることになった。

ちょっとヒアリングして、こういう構成で、いつ上がるかをパッと見通し立て、伝えられたことに先に述べた自営でやっている彼らの姿と自分が重なるように感じた。

3つのデザイン案を提出し、めっちゃ気に入ってくれて最終的に1案でよかったものの、ありがたくも2案採用となった。


自分の別の山のキャリアを築くべく英語を勉強していて、どこか自分の中で「デザイン」と「英語」は全く切り離していた。

なので、「英語」を伸ばしたいモードの今、時間が取られる「デザイン」はしないと考えていたけども、キャリアを活かしてお金を稼ぎ、その稼いだお金で「英語」を伸ばすべきかなと。


結果だけ見ると、ごく当たり前なことに行き着くんだけど、プロフェッショナルに対する気づきは、こういう回り方をしなければ再認識できなかったかもしれない。

朝ごはん屋さんをやりたい

朝ごはん屋さんをやりたいと思ってる。


なぜかと言うと、留学に出て気付けたことが二つあって。

一つは、日本は世界から見てホントに魅力的な国であること。

そしてもう一つはその反面にあって、そんな国に住む人たちはどこか閉鎖的で他人に非常に冷たい。本当はそうではないんだけど、冷たく感じさせるを得ない。そんなことを帰国したとき結構衝撃的ぐらいに感じた。


以前の記事でも触れたけど、この他人に対する希薄な感じを国民性と割り切るにはもったいない気がしていて。

また、そこが根源となって人間関係における様々な問題を引き起こしているようにも感じてたりもしている。


なので、「他人(ひと)にやさしく」なれるためのキッカケとなる環境を作れたらなぁ、と。

朝一番で、全然知らない人とちょっと挨拶交わすだけで、その後の1日の景色が変わって見えると思うんだよね。

マジに。


手作りの屋台作って、暖かい感じの雰囲気で野菜ジュースを売りたいなぁと。


とはいえ、あと1、2年は英語の習得に時間を取りたいので、その後ではあるけども。

なので、英語のトレーニングと並行して、そのお店のオープンのための下積みと資金も少し貯めてって感じかな!

金髪にした話 その2

金髪で帰国して思ったのは、あんまりいないんだよね、金髪。
 
空港から家に帰るまでの電車では、一人だけ浮いてしまっていて。
不安、というわけではないんだけど、なんかソワソワしてしまった。
 
そんなソワソワした日々が帰国後しばらく続いていたのだけど、My home townである高円寺をフラフラしたとき、シックリきた。
 
平日の昼間。街を歩く金髪が多いんだよね。ホントすごい居た。
 
もともと好きだった街が、さらに好きになった瞬間だったな。
 
 
 
 
日本に帰ってきたら、髪の色を戻そうかと思ってたのだけど、やっぱり気が変わりつつある。
 
戻そうと思った理由は仕事。
 
さすがに貯金もなくなってきたから働かなきゃと思っている。雇われるためには、ちゃんとした感じにしなきゃなと。
 
 
しかし、ふと思った。
 
人のアイデンティティが尊重されない組織に所属するのは退屈だなと。 
 
それと同時に、容姿で人を判断する日本の風潮。それは本当に変えていかなきゃならない事柄の一つだなと。
 
そう思うのであれば、自分からそれを壊していかないといけないなと。
 
 
なので、仕事探しにおいて、どんなに不利であろうと髪の色は戻さない。
人間性と実績、成果で判断してもらえる人と共に働きたい。
 
僕の髪の色は、そのための意思表示になった。
 

強烈な違和感

日本に帰ってきてから、尚思うんだけど。

日本人(特に東京)って、知らない人に対して本当に冷たい。

きっと、わざと冷たくしているわけではないと思うんだけど、冷たいと感じざるを得ない。


それを"国民性"と括ってしまったらそれまでなんだけど。


しかし。

これだけ社会が成熟してきてる今、それを"国民性"として、そういうものと放置するのは、どうなのかな?と思うんだ。

 

何を持って冷たいと感じるかというと、それはホント些細なことで。


狭い通路を通るにも「すみません」の一言もかけなかったり、道を譲ってもらったとしても「ありがとう」もない。

ひとたび道で人に何か尋ねようもんなら、めっちゃ不審がられる。

 

今まで気持ちの悪さは感じてはいたものの、海外生活を経て改めてそんなシチュエーションに対面すると、ものすごい違和感なんだよね。

 

 

でもね。

それに対する違和感がまた夜にあって。

 

例えば新橋とか、新宿のゴールデン街とか、はたまたどこかのスナックとか。

お酒の席だとめっちゃ話すんよね。こっちが聞いてもないのに。

 

 

夜に限らずも、朝の神社とか。

知らない人でも挨拶すれば、気持ち良く応えてくれる。

 

そんな体験をすると、他人に冷たいのは"国民性"ではないなぁと思うんだ。


むしろ、新しい人と話すことを求めているのではないかと思いさえもする。

 


先日、自分の事業にしたいことがあるとブログに書いたけど、こういう部分にアプローチしていきたいと思ってる。


「他人(ひと)にやさしく」できるキッカケをつくるというか。そんなことを。