みっちゃんの営み

会社員を辞め「やりたいこと」をやって生きてくまでの道のり。36歳┃デザイナーとして10年会社勤め→退社→🇦🇺留学→帰国┃フリーランスデザイナー・バーテン・シェアハウス運営・デザイン学校通学・英語勉強・ボランティア┃日々の葛藤を書いてます。

なぜ英語を学び始めたのか?

なぜ英語を学び始めたのかというと、これは完全に藤原和博さんの本を読んだことに、大元の動機は起因している。


藤原先生、これからの働き方について教えてください。 100万人に1人の存在になる21世紀の働き方 (DISCOVER21世紀の学校)


彼のロジックとしては、一つのキャリアでまず一山築き、100分の1の存在となる。そしてまた別のキャリアを築くことで、100分の1×100分の1=1000分の1の存在となり、最後にもう一つ、100分の1となるキャリアを築くことで、10000分の1の存在になるというもの。

この本の影響に加え、ちょうど同じようにそんな生き方を体現している人が近くにいて、キャリアを構築していく姿を目の当たりにしていたことも相まって、確信を得た感じ。

特に僕の場合は、前職のキャリアがWeb、デザインという非常にテクノロジーとスキルの回転が早い業種だったため、若い世代に抜かれることはわかっていたし、仕事における自分の適所がわかったとき、その業種にすがる気持ちもなかった。

それがまず、別でキャリアを築こうと思ったキッカケである。


そして、なぜ英語か?の部分だが、正直なところこれはもう直感でしかない。

他のスキルと親和性が高いだとか、英語ができた方が年収が上がるデータがあるとか…理由をつけようとしたら色々あるんだけど、ただただもう自分が英語ができるようになったときの自分を想像したとき、いい予感を感じられたから、ということに尽きる。

「やろう!」と決心したとき、なんの具体性も持ってなかった。

だから、そのキッカケを人に訊かれたときはいつも困ってしまうのだけど。


でも自分はそれでいいと思っていて。

「やろう!」と決めたとき、それに向けて周りの環境が動いたならそれはやるべきことだと思う。

逆のケースも多いにあって、「やろう!」と決めて、自分がどう努力しようとも周りの環境が作れないときがある。

それはもう仕方ないことで、それは今やることではない。


なので、英語に関しては「やろう!」と思い立ち、色々動いてみたときに、周りの環境も少しずつ変わってきて、留学に行くまで至ることができた。

2年近くの時間を要したけど、導かれるように(と言ったらスピリチュアル感だけど)、確実に環境は変わった。

そんな動きを感じると、「あぁ、もうこれはやるべきことだなぁ」と、生半可な気持ちではいけないと覚悟した。


僕的には「やりたいこと」に対する動機は、ハッキリしたものはなくてもいいと思っている。

「やりたい」と思って動いたとき、何かがそれに向かって変わってきたのならば、それはやるべきだし、逆に何も変わらずに、やがて自分の勢いも失速するのならば、その程度なわけで。


まだやりもしてないことに対して、具体的かつ説得力ある理由なんて生まれるわけはない。


で、結局なんの話だ?