みっちゃんの営み

会社員を辞め「やりたいこと」をやって生きてくまでの道のり。36歳┃デザイナーとして10年会社勤め→退社→🇦🇺留学→帰国┃フリーランスデザイナー・バーテン・シェアハウス運営・デザイン学校通学・英語勉強・ボランティア┃日々の葛藤を書いてます。

表現が必要

高円寺という街を介して出会う仲間が多いからか、音楽、演劇、お笑い、ダンス…様々な表現をしている友だちが周りに多くいる。

彼らがライブをやる際はなるべく行くようにしてるんだけど、それは付き合いってワケではなく、人生のどっかのタイミングで表現中毒になってしまって、人が何かを表現することを観るのが純粋に好きなんだと思う。


世の中にウケるか、ウケないか。

自らの身体とアタマを使って真正面から立ち向かう姿を見続けてると、いっつも刺激を受け感化されるし、やっぱり表現しなければ、伝わらないことってあるなと思う。


別に伝わらなくてもいいんだけど、感じてもらうというか。

この「感じてもらう」というのが、アートにしかできない特有のことで、「伝わる、伝える」ことより時に遥かに強い影響を人に与えると思う。

人間って、言葉というモノゴトを伝えるにあたって便利なツールがあるから、大抵の意思疎通はできるけど、逆に言葉があるからこそ、感じられないことがあって、それが割と大事なことだったりする。


その辺りは海外に留学に出て、言葉に不自由な環境に身を置いたことによって、英語もとより言葉に頼り過ぎず、相手に感じさせる大切さを体験することができて、「言葉が全てじゃない」というか。

まず、伝えることが目的にあって、そのために言葉がうまく使えないのであれば、なんらかの方法で相手に感じてもらうしかない。

そんなことを思ったりした。


この英語に関しては、「お腹空いた」なのか「それしたい、したくない」とか、一般コミュニケーションなのでアートではないんだけど。

でもアートの本質はそこにあるのかなぁと思う。

もっと難しい感情、自分特有の気持ちというのは、言語にはないから、それを伝えたければ、表現するしかない。

音楽かもしれないし、演劇かもしれないし、お笑い、もしくはダンスかもしれないし、はたまた何かしらの事業やイベントかもしれない。


まぁ、こういうことこそ、ブツブツ語ってないで何かカタチに表すべき、だよね。
なので、この「表現」というのもやりたいことの一つかな。

まだ具体的には言えないけど、とにかくそれはやる。
というか、内側から湧き上がる何かがあって、放出したくて仕方がない今日この頃。